「ショートストーリー」1弾!マティーニ

ショートストーリー書きました!

載っけます。

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彼女には夫がいた。それでも僕たちは恋に落ちた。それは僕たちにとってはとても自然な流れだった。雨が降り川に集まりやがて海まで運ばれるくらい自然な流れだった。僕はお酒を作りながらそんな彼女との出来事を思い出していた。

僕と彼女が出会ったのは「nowhere people」というバーだった。僕はそこでバーテンダーとしてアルバイトをしていた。彼女は時折店に来てカウンター席に腰を下ろした。彼女が誰かを連れて入ってくることはなかった。僕が見る限り、彼女はいつも一人で店のドアを開け、真っ直ぐカウンターまで歩き、入口から離れた席に腰を下ろした。

そして両ひじを立て顎を乗せて「マティーニをくださいな」と言った。マスターが非番の日は僕がマティーニを作った。

ある日、いつも通りマティーニを彼女の前へ差し出すと、彼女は口角をほんの少しだけあげて微笑んだ。綺麗な人の微笑み方だった。そして「ありがとう」と目の前に差し出されたマティーニを見ながら言った。彼女はマティーニをすぐには飲まなかった。風で揺れた湖を眺めるようにマティーニの揺れた表面を数秒間見るともなく見ていた。揺れがおさまってから彼女はグラスに口をつけた。

「あなた最近よく見るわね」と彼女は僕に視線を移して言った。グラスを地面に滑らせるようにぐるりと回していた。

「数ヶ月前に入ったばかりです」と僕はグラスを拭きながら言った。

「そうなの?それにしては腕がいいわね」彼女は僕からマティーニに目線を戻した。「こんなに綺麗に揺れるもの」

「揺れるかどうかは僕の腕とは関係ないと思いますが」と僕はグラスを拭きながら言った。

「関係あるの。味や見た目じゃないのよ。揺れるお酒を作れる人が私は好きなの」彼女はまたマティーニを揺らした。「お酒を飲んでばかりの人は好きじゃないの。」

彼女は最後の言葉を口にしたことを少し後悔したように沈黙した。そして何かを思い出したのか、勢いよくマティーニを飲み干すと、席を立って「また来るわ」と言って、店を出ていった。

その一週間後彼女はまた同じカウンター席に座って、例のごとく「マティーニをくださいな」と言った。

僕は前にマティーニを置き、彼女がまたマティーニの揺れを眺めているのを見ていた。

「今日はスーツなんですね。」と僕はグラスを拭きながら言った。僕はいつもグラスを拭いていた。

「仕事帰りなの。働かないと生きていけないからね」と彼女は片肘をついて言った。薬指の指輪に照明がキラリと反射した。

「旦那さんがお酒にのめり込んでロクに働かなくなったとか」僕はグラスを照明に当ててまだ水垢がついていないか確認しながらそう口にした。そのあとすぐにそれを言葉にしてしまったことを後悔した。

彼女はほんの少しだけ無言になった。そして「とてもいい人なの」とささやくように言った。

それから僕たちはしばらくの間会話をしなかった。僕は次に何を言っていいのかよく分からなかったからグラスを次々と拭いていった。彼女の後ろのブース席に座る3人組の若い男たちが一斉に高笑いする声や店内で流れるマイルスデイビスのso whatのトランペットの音がよく聞こえた。カウンターの入口に近い席に座ってる女が隣に座ってる男に「なんでそんなことを言ったのよ。」と言ってる声が聞こえた。

「あなたって普段何してるの?」と彼女は沈黙を破り聞いてきた。

「昼間は大学生、夜は綺麗に揺れるマティーニを作るバーテンダーです。」と僕は答えた。

「あら。なんだかB級映画のキャッチコピーみたいだわ。」彼女はくすくす微笑んだ。「大学って楽しいの?」

「このグラスみたいにみんな同じで最高ですよ。割れたらすぐ代えがきくようになってます。」僕はグラスを二つ掴んで彼女の前に並べた。

「あなたってシニカルなのね」彼女はまた微笑んだ。「でもそれは学校以外どこだって同じことよ。」

「あなたの後ろで高笑いしてる男に僕は揺れるマティーニは作れませんよ」と僕は言った。彼女はきょとんとした。

「何が言いたいわけ?」と本当にわからないという感じで聞いてきた。

「代えがきかない関係性や場所もあるってことです」と僕は言った。

彼女の表情は一瞬静止し、まぶただけを上下に動かして、子供が知らない人をじっと眺めるように僕を見た。そしてすぐに表情を崩して笑った。

「あなた、変わった人ね」

悪い気は起こしていない笑い方だった。

それから彼女は1週間ほどの間隔でお店に来ては、マティーニを頼み、僕と会話をした。太ってる上司がダイエットに励みながら昼食に牛丼2杯食べる話や話題になっている映画がどれほどひどい代物かについてやどうしてお酒とタバコに人はのめり込んでしまうのかについてあれこれお互いの意見を交わした。真剣に議論をする時もあったし、冗談で笑い合ったりする時もあった。僕たちは打ち解けて敬語を使うこともなくなった。ただ彼女について、特に彼女の家族について、僕たちは話すことはなかった。暗黙の了解としてその話題には簡単には触れない方がいいことを感じ取っていた。僕が彼女について知っていることは2つだけしかなかった。それは、彼女は仕事をしていて、結婚しているということだった。それでも彼女との会話はとても楽しかった。自然と流れるように僕たちの関係性は深まっていった。やがて僕たちはバーの外でも待ち合わせて会うようになった。映画を見たり、食事をしたり、デートを重ねた。街中にでかけて彼女の服選びに付き添ったり、僕が学校で使う文房具を2人で選んだり、お互いそんな些細な出来事を心底楽しんでいた。そして夜になると、僕の部屋で何回も肌を重ね合わせた。僕たちは何回もお互いを求め合った。

いつものようにデートを楽しんで僕の部屋で彼女と寝た時、彼女は僕の腕から頭を離して、キッチンへと歩いていった。彼女は電子ポットに水を入れ、スイッチを押し、湯が沸くのを待った。背中を水切り台の縁に預け、しばらく冷蔵庫の扉を眺めていた。

「ねぇ、こういうのっていいのかしら?」

彼女は冷蔵庫の扉に向かって言った。「ねぇ聞いてる?」

「ああ、聞いてるよ。」僕は横になりキッチンに向き直って聞いた。「こういうのってどういう意味?」

「私とあなたのこういう関係性よ」

電子ポットの照明が消えカチッと音がした。

「そうだね」僕は仰向けになって両手を後頭部と枕の隙間に挟み天井を眺めた。「僕は君に恋をしている。君も僕に恋をしている。だから僕たちはこうして寝ている。それはとても自然な流れだと思うよ」そこで僕は一度言葉を区切って続けた。「でも君には夫がいる。」

僕はそこから言葉が続かなかった。しばらく黙って彼女を見た。彼女はコーヒーフィルターに乗せた豆に電子ポットから湯を回すように注いだ。

「たぶんね、私たちのしてることって正しくないことなんだと思うの。もちろん私はあなたに恋をしているし、あなたとデートしたりベッドを共にしたりすることに幸せを感じているの。それは本当にそう感じるの。」彼女は電子ポットを戻しコーヒーフィルターをゴミ箱に捨てコーヒーをすすった。「でもね、夫とは別れたくないの。彼は今は少し気が滅入ってるけど、とても優しくていい人なの。彼とは離れたくないの。」彼女はコーヒーを両手に包み込み、また冷蔵庫を眺めた。「そういえば、あなたに彼のことを詳しく話したことなかったわね。彼はね、少し前まで、、」

「聞きたくないな。」僕はそう言った自分に驚いた。その声や調子はとても僕から発せられたとは思えないほど不快な冷たさに満ちていた。

「そうよね」と彼女が言った。少し沈黙が続いた。そのあとで「ごめんね」と彼女が言った

「君は悪くないよ」と僕は自分を落ち着けるように言った。「それで何を望んでるの?」

「わからないの」と彼女は言った。「ただね、このままあなたとこういう関係性を続けていたら何か欠けてはいけないものが欠けていくような気がするの。損なわれてはいけないものがどんどん損なわれていく気がするの。」彼女はコーヒーをキッチンの台の上に置いた。「それは一旦欠けてしまったら、一旦損なわれてしまったら、もう2度と取り戻すことができない物事のような気がするの。」彼女はそのまま黙り込んだ。僕の返事を待っているかのように。

「君の言ってることは正しいんだと思う。」僕はそれ以外の言葉を見つけることができなかった。そしてその言葉がこの状況では一番適切な言葉だと感じた。本当はそれ以外に語るべき言葉はあったはずなのに。そして僕は沈黙した。

彼女はベットに顔を向け僕を見た。そしてカップを水切り台に放り投げ、ベッドに入り込んできて、僕の胸に頬を押し付けた。「泣かないで」と彼女は言った。

僕は泣いていた。正確にいうと片目の縁から涙が一筋枕に向かって流れ落ちていた。僕は自分が泣いていることに気がつかなかった。彼女に言われるまで僕は決して泣いているとは考えなかった。僕は冷静に彼女と会話をしていると思っていた。彼女は「泣かないで」ともう一度言った。彼女がその言葉を言うたびに僕の涙は溢れ出てきた。僕はその時、自分がひどく悲しんでいることを知った。とても深く傷ついてしまったことを知った。僕は彼女とは反対の方へ横向きになった。背中から彼女の息や額の温かみが伝わってきた。僕の枕はすぐに濡れた。彼女は「ありがとう」と言った。「あなたを好きになれてよかった」僕は何も言わなかった。そして、考えることをやめ眠りにつくことだけに専念した。彼女は少し強く額を背中に押し付けた。長い時間が経って僕はようやく眠りについた。それは20時間炭鉱で働かされている坑夫が家のベッドに倒れこむように深い眠りだった。

朝目が覚めて上体を起こした。僕は部屋の雰囲気に違和感を感じた。そしてすぐにその違和感の正体に気がついた。僕の隣から彼女の姿がなくなっていた。ベッドの脇に置いてあったカバンも無くなっていた。僕はベッドから飛び降りてトイレやバスルームのドアを開けた。ベランダの外を見回した。キッチンの下を覗き込んだ。冷蔵庫の中を開けた。ベッドの下の空洞を覗き込んだ。どこにも彼女はいなかった。僕はまだ出て行ったばかりかもしれないと思った。急いで玄関まで走りドアを開けた。そこから見える範囲内で彼女の姿はなかった。禿げたジャージ姿のおじさんが犬を連れて散歩しているだけだった。置き手紙があるかもしれないと思った。急いで居間に戻ってテーブルの上の物を全て下に落とした。その中に手紙はなかった。キッチンにいって台を隅々まで探した。そこにも手紙はなかった。あるのは水切り台に置いてあったコーヒカップだけだった。僕はそれをベランダから投げ捨てようと思ったがやめた。僕はベットに座った。そして考えた。何を考えていいか分からなかったが考えた。考えた末に好ましい結論にたどり着くことなんて決してないことだとわかっていたのに考えた。なんでもいいから考えないわけにはいかなかった。しかし結論は分かりきっているものだった。彼女は彼女の戻るべきところにしっかりと戻っていってしまっただけなのだ。彼女は何か言葉を残したところでそれが僕になんの慰めにもならないことを分かって無言のままこの部屋を立ち去ることにしたのだ。彼女が僕の部屋に戻ってくることはもうないのだ。僕が彼女の肌に触れることももうないのだ。彼女が僕に微笑むことはもうないのだ。彼女が僕に「マティーニをくださいな」と言うことはもうないのだ。彼女を僕は永遠に失ってしまったのだ。僕はそのことを認めたくなかっただけだった。僕は彼女が寝ていたベッドの窪みを眺めた。そこには彼女の面影が重く存在していた。そこには彼女と肌を重ね合わせた記憶が重く存在していた。僕はシーツを伸ばし窪みを戻した。そして消臭剤をかけた。匂いを嗅いでもう一度消臭剤をかけた。僕は思い立ったようにベッドのヘッドボードに置いてあったスマートフォンをつけた。彼女の連絡先を開いた。彼女の連絡先を眺めた。少し考えた末に電源を切って元の場所に戻した。僕はしばらくそのままぼーっとした。今度は何も考えないように頭を空っぽにしようとした。しかしその空白の中に彼女は勝手に入り込んできた。僕は立った。窓を開けて空気を入れ替えた。外は肌寒かった。もっと寒ければいいと思った。何も考えられなくてもいいように凍えるくらい寒ければいいと思った。僕は窓を閉めた。部屋を歩き回った。そして、キッチンに行った。冷蔵庫を開けてウイスキーボトルを取りだしテーブルの椅子に腰掛けた。ボトルの栓を抜きそのまま喉に流し込んだ。あっという間に半分を飲み切った。数十分経って頭がクラクラしてきた。僕はこれでいいんだと思った。意識が朦朧としてきた。僕はこれでいいんだと思った。椅子を後ろに倒すようにして立ち上がり、ベッドに潜り込んだ。毛布を顎まで引き上げ意識が完全に途切れるのを待った。目の前の天井は左右に分裂してまた中心で重なり合っていた。やがて天井が中心で重なり合わなくなり、左右に分裂した間から暗闇が侵入してきた。その暗闇の中に意識が吸い込まれるようにして僕は眠りに落ちた。

カランコロンとドアが開いた。男と女の客が二人でカウンター席に座った。男はバーボンをロックで頼んだ。女はマティーニを頼んだ。僕はグラスを拭くのをやめてお酒を作り始めた。

あの日以来僕は彼女と会っていなかった。彼女が今どこで何をしているのかは全く分からなかった。僕は彼女の連絡先を消した。僕たちは完全に終わった。彼女の人生と僕の人生はあの時交わった。しかしその交点を通過して、お互いが別々の方向へと進んで行った。その交点でお互いの人生が重なって一つの真っ直ぐな線になることはなかった。僕はそれを時間をかけてようやく理解したのだ。

僕は女の客にマティーニを出した。そして円を描くようにゆすった。

女は「何してるの?」と言った。

僕は「綺麗に揺れるマティーニなんですよ」と言った。

女は「あなた、変わった人ね」と引きつった顔で言った。

僕は「代え難いものですね」と言って笑った。

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