朝ドラ「エール」のモデルの古関裕而と妻・金子の経歴を紹介!作曲した楽曲一覧!

古関裕而

朝ドラ「エール」のモデルである古関裕而さんと妻の金子さんの経歴が気になりますね。

朝ドラ「エール」は朝ドラ「スカーレット」の次、2020年4月からの放送になります。

スカーレットも実在したモデルがいましたが、今回のエールにも実在したモデルがいます。

今回はその実在したモデル・古関裕而さんと金子さんについて調査しまとめました。

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朝ドラ「エール」のモデルの古関裕而の経歴を紹介!

古関裕而

朝ドラ「エール」のモデルになる古関裕而さんの経歴を見ていきましょう!

まずは、簡単なプロフィールです。

  • 生年月日:1909811
  • 没年月日:1989818日(80歳没)
  • 本名:古関勇治
  • 学歴(年):福島商業(昭和3年)卒
  • 出身地:福島県福島市
  • 職業:作曲家
  • ジャンル:応援歌・軍歌・歌謡曲
  • 活動期間:1931年~1989
  • 主な受賞名〔年〕:NHK放送文化賞(4)〔昭和28年〕,紫綬褒章〔昭和44年〕,勲三等瑞宝章〔昭和54年〕,福島市名誉市民,日本レコード大賞(日本作曲家協会特別功労賞 第31)〔平成1年〕
  • 配偶者:古関金子(1939年~1989年死別)
  • 家族:古関正裕(長男)

古関裕而さんは、福島県福島市で生まれ旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に通いながら仙台に通い、金須嘉之進さんに師事します。1929年、チェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに入選、日本人として初めて国際的コンクールの入選履歴を得ます。

一旦は、地元の銀行に入りますが、作曲家を志し、2年後に上京し、菅原明朗さんに師事。昭和5年に、山田耕作さんの勧めで、コロムビアレコードと契約、専属となります。クラシック畑からのちにポピュラー畑に転身しています。

昭和6年に、早稲田大学応援歌「紺碧の空」がヒット、その後も立て続けにヒット曲を生み、流行作曲家の地位を確立します。その後も、多数の軍歌・歌謡曲・応援歌・行進曲の作曲を手がけます。

戦時中は、軍歌を多数作曲。戦後は、その反省から、暗く不安な日本を、音楽によって明るくする活動に、力を注いでいます。

そんな古関裕而さんが、生涯に作曲した曲は五千曲に及ぶといわれ、作曲の作業は、楽器を一切使わずに頭の中だけで行った、といわれています。

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朝ドラ「エール」のモデルの妻・金子の経歴を紹介!

古関裕而

次に、朝ドラ「エール」のモデルの妻・金子さんの経歴を見ていきましょう!

 

古関金子さんは、作曲家・古関裕而さんの妻であると同時に、古関金子さん自身も、声楽家で、詩人でもありました。

古関金子さん(旧姓・内山)は、1912年(明治45年)内山安蔵・みつの三女として、愛知県豊橋市に生まれます家族は長兄と女性6。家業は、豊橋市に駐屯していた陸軍の第15師団に物資を納入する業者でした。しかし、金子さんが12歳の時に父親が死去。その後は、母親が家業を引き継ぎ同時に子育てもしました。

金子さんは幼いころからお転婆で、音楽と文学が好きで、オペラ歌手を目指していたそうです。

金子さんは、1928年(昭和3年)豊橋高等女学校(現・豊橋東高等学校)を卒業後、「女人芸術」に参加、中部地方委員になります。

1930(昭和5)1月、金子さんは「福島の無名の青年が国際作曲コンクールで入賞」という新聞記事を読み、素晴らしい人がいるものだ、と感心し、持ち前の行動力からすぐにその青年に手紙を書きます。その青年こそ、のちに金子さんの夫となる古関裕而でした。

そこから、金子さんと古関裕而さんの遠距離恋愛が始まります。古関裕而さんは自分と金子さんとの関係を、作曲家ロベルト・シューマンとその妻クララになぞらえ、金子さんを自分の音楽活動のパートナーにする夢を描きます。恋愛期間はわずか三か月でしたが、その間にたくさんの曲を作り、金子さんにささげています。

その時期に、金子さんは、実家の家計を助けるため、知人の紹介で、名古屋の雑誌発行人のもとで住み込みで雑誌編集の手伝いを始め、声楽の先生について歌の勉強も始めました。

古関裕而さんは、その年の6月に金子さんを訪ねて豊橋を訪れ、2人はその足で福島まで行き、そのまま結婚してしまいます。

その秋には、日本コロンビアの招きで、金子さんと古関裕而さんは、2人で上京し、世田谷区代田に家を構えます。

その家の近くに帝国音楽学校という音楽学校があり、金子さんは声楽部本科に編入、そこでベルトラメリ能子に師事し、本格的に声楽の勉強を始めます金子さんの声楽の才能は抜きん出ていて、その声は中山晋平さんにも絶賛されたそうです。

ベルトラメリ能子の門下生の中では一番弟子で、いくつかオペラの舞台も踏んでいます。しかし、長男(古関正裕さん)が生まれると学校を中退その後は子育てに専念したようです。

ですが、1940年、ディーナ・ノタルジャコモに師事し、戦争激化の直前まで、オペラやオペレッタの舞台に立っていました。

戦後になると、1958年、「婦人文芸」に参加、のちに委員となり詩や随筆などを寄稿しました。

1961年には、古関裕而さんと共にヨーロッパ、中近東へ海外旅行をしています。

1965年に、詩誌『あいなめ』の同人となり、これまでの作品をあいなめ会からまとめて刊行するきっかけとなります。

1980(昭和55)723日、乳がんが全身に転移し、68歳で死去しました。

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朝ドラ「エール」のモデル・古関裕而の作曲した楽曲一覧!

古関裕而

朝ドラ「エール」のモデル・古関裕而さんの作曲した楽曲一覧をまとめました!

何と言ってもたくさんあり、全部は載せきれないので、主に戦時中と戦後に分けて書きます。(Wikipedia参考)

戦前戦中期

  • 1931年「紺碧の空 – 早稲田大学応援歌~」
  • 1935年「船頭可愛いや」
  • 1935年「東京農業大学応援歌 カレッジソング」
  • 1936年「ミス仙台」
  • 1936年「大阪タイガースの歌(六甲颪)」
  • 1936年「慰問袋を」
  • 1937年「彈雨を衝いて」
  • 1937年「露營の歌」
  • 1938年「愛國の花」
  • 1938年「婦人愛國の歌」
  • 1939年「巨人軍の歌(野球の王者)」
  • 1940年「暁に祈る」
  • 1940年「嗚呼北白川宮殿下」
  • 1941年「海の進軍」
  • 1941年「英國東洋艦隊潰滅」
  • 1942年「斷じて勝つぞ」
  • 1942年「防空監視の歌」
  • 1942年「大東亞戰争陸軍の歌」
  • 1942年「シンガポール晴れの入城」
  • 1943年「みなみのつわもの」
  • 1943年「大南方軍の歌」
  • 1943年「海を征く歌」
  • 1943年「戰ふ東條首相」
  • 1943年「あの旗を撃て」
  • 1943年「かちどき音頭」
  • 1943年「決戦の大空へ」
  • 1943年「若鷲の歌(予科練の歌)」
  • 1943年「撃ちてし止まん」
  • 1944年「ラバウル海軍航空隊」
  • 1944年「制空戰士」
  • 1944年「雷撃隊出動の歌」
  • 1944年「臺灣沖の凱歌」
  • 1944年「フィリピン沖の決戦」
  • 1944年「嗚呼神風特別攻撃隊」
  • 1944年「比島決戦の歌」
  • 1944年「アイウエオの歌」
  • 1945年「特別攻撃隊『斬込隊』」

戦後

  • 1947年「夢淡き東京」
  • 1947年「白鳥の歌」
  • 1947年「雨のオランダ坂」
  • 1947年「三日月娘」
  • 1947年「とんがり帽子」
  • 1948年「栄冠は君に輝く」
  • 1948年「フランチェスカの鐘」
  • 1948年「スポーツ県民歌」
  • 1949年「長崎の鐘」
  • 1949年「イヨマンテの夜」
  • 1950年「ドラゴンズの歌」
  • 1951年「恋を呼ぶ歌」
  • 1951年「さくらんぼ大将」
  • 1951年「あこがれの郵便馬車」
  • 1951年「ニコライの鐘」
  • 1952年「黒百合の歌」
  • 1952 滋賀県立彦根東高等学校校歌
  • 1953年「君の名は」
  • 1953年「君いとしき人よ」
  • 1953年「ひめゆりの塔」
  • 1953年「みどりの馬車」
  • 1954年「高原列車は行く」
  • 1954年「サロマ湖の歌」
  • 1955年「花売馬車」
  • 1957年「荷物片手に」
  • 1958年「オリンピック賛歌 」(第1回アテネ大会時の紛失楽譜発見、採譜オーケストラ編曲、至る現用)
  • 1959 名古屋中学校・高等学校校歌 「希望羽ばたく」
  • 1960 陸上自衛隊隊歌「この国は」
  • 1960年 陸上自衛隊隊歌「君のその手で」
  • 1960年 陸上自衛隊行進歌「聞け堂々の足音を」
  • 1961年「モスラの歌」
  • 1961年「夕月」
  • 1963年「あの橋の畔で」
  • 1963年「巨人軍の歌(闘魂こめて)」
  • 1964年「オリンピック・マーチ」
  • 1966年「スカーレット・オハラ」
  • 1968年「早慶讃歌 ~花の早慶戦~」
  • 1968 青年海外協力隊隊歌「若い力の歌」
  • 1968年「若鷲の歌」
  • 1970年「我ぞ覇者 ~慶應義塾大学応援歌~」
  • 1970年「アニメンタリー 決断」テーマソング「決断」
  • 1970年 陸上自衛隊隊歌「栄光の旗の下に」
  • 1971年「純白の大地(札幌冬季オリンピックの歌)」
  • 1977年「ドカベン」挿入歌「ああ甲子園」
  • 海上自衛隊隊歌「海をゆく」

戦時中と戦後で、これだけの楽曲を作曲しています。

歌謡曲の他にも、軍歌・映画音楽・クラシックから校歌まで、非常に多岐にわたっています。

その中でも、スポーツの応援歌や、行進曲の多さから、和製スーザとも呼ばれました。

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朝ドラ「エール」のモデルの古関裕而と妻・金子の経歴を紹介!作曲した楽曲一覧!:まとめ

古関裕而

今回は朝ドラ「エール」のモデルの古関裕而さんと妻の金子さんの経歴をまとめました。また作曲した楽曲もまとめました。

作曲に人生をかけた古関裕而さんの経歴とその古関裕而さんを支えた金子さんの経歴を合わせて読むと、朝ドラ「エール」の放送がますます楽しみになってきますね。

窪田正孝さんが古関裕而さんをどう演じるのか、また妻の金子さんは誰が演じるのか、二人はどのような物語を歩んでいくのか、見どころは尽きなさそうです。

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