論理は大切だ、しかし感情が時には正しい方向に導いてくれる

皆さんは物事を思考する時、どのように考えますか?おそらく、広く一般的に良い思考のあり方として受け入れられているものは論理だと思います。生活していて何かを考えたり、判断したり、話すときなども「論理的に」ということを意識したり、意識させられたりすることはあると思います。

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論理は真実を明らかにしてきた

確かに論理は大事だと思います。客観的な事実(と認められる物事)を積み重ねて正確な解答に効率的にたどり着く。歴史的に見ても論理を通じて明らかになった真実はたくさんあります。

科学がまさにそれを証明しています。エジソンによって豆電球や蒸気機関が発明され、僕たちの移動距離は伸び生活は明るくなり、豊かになりました。

僕自身もやはり論理的に考えることを意識しないわけにはいきません。

一方で論理だけでは解決できない物事もある

しかし、そう思う一方で、必ずしも論理が正しい方向へ導くとは限らないんじゃないかなと思うんです。例えば、人を傷つけてはいけないって僕たちは思いますよね。でも、人を傷つけてはいけないということを客観的事実に基づいて論理的に説明することはかなり難しいと思うのです。

試しにみなさんも今考えてみてください。どうでしょうか?

完全なる論理を見つけたら僕に教えてください笑。その正当性を論理的に説明できないということは、人を簡単に傷つけてしまう人たちの不当性を論理的に説明することもできないですよね。

だから、そういった物事を論理という思考範囲で解決しようとしてもなかなか解決できないんじゃないかなと思うんです。

論理で解決しようとするとかえって人を傷つけることが不当ではないような気がしてくる。そういった不穏な考えを持ちそうにすらなってしまう。

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感情が僕たちを時には正しい方向に導いてくれる

でも僕たちはやっぱり人を傷つけてはいけないと思う。

「論理的に」ではなく「感情的に」そう思う。

自分たちの中にある感情がそう感じさせてくれているような気がするんです。誰かを傷つけてしまったときに謝罪をするのは、悲しみとか後悔とか申し訳ないという感情が僕自身を突き動かして謝罪という行動に駆り立てる。もし僕たち自身が感情がまったくない論理でしか判断しない人間であったならば、そういうことは起こりえないことだと思うのです。

つまり、平然とで誰かを傷つけて、平然と何事もないように振る舞う、そういう人になってしまう。それはやはり怖いですよね。だから、論理という思考範囲で全ての物事に是非をつけてしまうのはとても危険であるように僕には思うんです。

むしろ自分が何かに対して強く感じる感情を大切にしてあげる方が重要な気がするんです。喜び、楽しさ、悲しさ、寂しさ、後悔、感動、他にも様々にあるでしょう。

そういう感情が自分自身を時には正しい方向性に導いてくれることもあるんです。

ただ誤解してほしくないのは、論理を軽んじているわけではないということです。論理も大切です。同じくらいに感情も大切だよね、と言いたいわけです。

感情を大切にして生きていきましょう!

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