相談された時に大切なことは理解すること、早い判断を避けて理解を深めよう

皆さんは誰かに相談を受ける機会ってありますか?それもありきたりな相談ではなくて、深い悩みからくる相談です。

そのときに、どのように対応すればいいのかわからなくなってしまうことがあります。例えば、不登校になった自分の家族、友達に「学校に行きたくないんだ。どうすればいいだろう。」と相談されたときなど。あるいはここまでの相談ではなくてもいいのですが。

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相談されたときはまず理解することを心がける

僕はそういったときには「解決」ではなくてなるべく「理解」をしようとつとめます。「解決」はきっと本人が一番できることだと思うからです。本人が見つけ得ることだと思うからです。

その「本人による解決」を僕は「理解」で促していきたいと思っています。しかし、この「理解」ということはとても難しいです。

誤解、勘違い、意外が理解を深める

一体どういう状態になったら「理解した」といえるのか、とてもわかりづらいものです。僕の個人的な考えを述べると、その人についてたくさん勘違いし、誤解し、意外だと感じることだと思っています。

僕たちは間違いや失敗から多くのことを学ぶように、人に対しても同じことが言えると思っています。「この人実はこんな一面あったんだ」「そうか、彼は実はこんな力があるんだ」とかそういう瞬間って誰もがあると思うんです。

そういう発見からその人についての理解を深めることができるんだと思います。

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早い判断が理解を遠ざける

では、そのような勘違いや誤解や意外を発見するために必要なことはなんでしょうか。

逆にいうなら、そのような発見は何に妨げられてしまうのでしょうか。

それは、「判断する」ことです。言いかえるならば、「他の可能性を排除する」ということです。

早い段階でその人の人間性を判断することはとても危険な行為です。

その人がどういう人間か、あるいはどういう人間であるべきか、そしてその人間像からどれだけ離れているのか合致しているのか、そういった判断を僕たちは狭い自分の価値観や理想に照らし合わせて行っていることが多いのです。

それは相手の持っているものさしで相手を測るというよりか、自分の持っているものさしで相手を測っているようなものなのです。そのものさしが誰にでも当てはまる正しいものかどうかも疑わずに相手を測ってしまうのです。世の中にはいろんなものさしを持った人がいます。それぞれがそれぞれのものさしで様々な物事を測っています。

「理解」というのは、言うなれば、こんなにも世の中にはものさしがあるんだなと受け入れることだともいえます

それは自分のものさしに照らし合わせた「判断」とは近づきがたいものです。そのものさしの多さを理解することは、その人のあらゆる可能性を信じることにも繋がります。

だから判断せず我慢強く待つ。そしてそういった理解の過程を受け、本人は自らの中に解決を見出していくのではないでしょうか。 

とても実践するのは難しいのですが、なるべく判断せず耳を傾けましょう。大切な人の話など特に。

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