協調することと同調することの違いとは?個人を尊重する協調を大切にしよう

皆さんは社会で生活を営んでいく上で人間関係で困ったりすることはありませんか?

僕たちは生きていく上で必ず誰かしらとコミュニケーションを取り、関係性を築いていかなくてはなりません。集団の中で僕たちは生活をしているわけですから。

しかし、そのような集団生活に戸惑いやストレスを感じる人も少なくはないと思います。

そこで問題となるのが、「協調」と「同調」です。

Sponsored Link

同調と協調を勘違いしていた中学生、高校生時代

僕は中学、高校生のころ、「協調性」こそ人が持つ性質の中で、最も重要なものだと考えていました。

少しおおげさに表現をしてしまったのかもしれませんが、少なくとも、優先されるべき規範だと思っていました

。合唱コンクールや体育際、そういった学校行事を盛り上げていくためには、クラス全体が同じ空気感を持って協調して取り組む必要があると思っていました。そうすれば、その過程で多少なりとも苦労はしても結果的にクラス全員が楽しめると考えていました。

だからこそ、その空気に反抗的だったり、個人的な行動に出ていくような人たちを空気の一部に組み込むように努力もしました。

しかし結果的に振り返ってみると、クラスの多数は満足感を得ていましたが、少数はそうではなかったのです。そしてまさにその少数に該当する人たちは、反抗的だったり、個人的な行動に出るような人たちでした。 

今になってわかることですが、あの時僕が大切にしていたのは決して協調性ではありませんでした。おそらく僕が大切にしていたことは「同調」でした。

自分と同じような考え方や行動を周りの人にも求めでいたんだと思います。あの時の僕は自分が楽しいと思えること、喜びを感じること、大事だと信じているもの、その全ては他の人にも当てはまるはずだと思い込んでいました。

僕たち人間は皆同じなんだから同じような空気感を大切にするべきだよねと。僕は、そのような考えを、同調することを、無意識に強要していたんです。

同調の要因は孤独への恐れ

ではなぜ僕は同調性を強要していたのでしょうか。

それは、僕自身が孤独を感じることを恐れていたからだと思います。

僕は自分が一人ぼっちになることをとても恐れていました。自分という存在がこの世界に全く属していなくて、誰からも必要とされることもなく、存在そのものが危険に晒せれている、そのような状況を自分自身が被っていることに耐える強さがなかったんです。

その孤独への恐怖が、同調の強要を生み、自分自身に偽りの安心感を与えていたわけですね。

Sponsored Link

同調は個人を尊重せず、協調は個人を尊重する

同調と協調の決定的な違いは、「個人を尊重しているかどうか」だと僕は考えています。

同調は基本的に相手を尊重していません。相手の考えや行動は考慮の対象に決して入らないのです。だから、同調で結ばれた集団は周りの人を無視した自分本位の自己中心的な集まりであることのほうが多くなってしまいます。  

一方、協調は、一人ひとりの考え方や価値観や性格は違うという前提、つまり個人を尊重することを前提に立ってるので、独りよがりではない、全体のことを考える強い集団を作るんだと思います。

個人を尊重しないで協力する同調性ではなく個人を尊重して協力する協調性を僕たちは身につけましょう!

Sponsored Link

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です