恥ずかしさは失敗や間違いの証、恥ずかしさを感じた回数だけ成長してる

皆さんは恥ずかしいと感じてしまうことありますか?おそらく皆さんも少なからず経験をしていることだと思います。

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恥ずかしさは失敗や間違いを犯したときに生じる

どういう時に僕たちは恥ずかしさを感じてしまうのでしょうか。

僕の場合、似合っていると思っていた洋服を着ていたときに友人から「なんでそんなにダサい服着ているの?」と言われた時や、剥製の熊くらい沈黙している図書館で気が緩んでおしりからプッと空気が抜けた時、自分なら絶対できると豪語していた物事を実際にはできなかった時、町中を堂々と歩いている際に社会の窓をあけっぴろげにしていることに気がついた時、恥ずかしさを感じてしまいます笑。

つまり、なにかを失敗したり、過ちを犯したり、間違ったことをした時に恥ずかしさを感じてしまうのです。

恥ずかしさは遺伝子に刻み込まれている

僕たちはなるべく恥ずかしい思いをしないように振る舞います。

恥ずかしいと思うことは人として少しばかり劣っているような気さえします。

それはおそらく遺伝子的にそう思うようにプログラムされているのです。

文明が発達していない太古の昔では、人々は森や山や河川付近で暮らしていました。そこでは命を落とす危機が溢れていました。森には猛獣がいるし、毒を持った植物は生えているし、現在みたいに病気や怪我への有効な治療方法は確立していないため、一度間違えてしまったらすぐに命を落としかねない状況が日常茶飯事でした。

だから危機回避能力の一つの機能として、「恥ずかしさ」という感覚は遺伝子に深く刻み込まれたんだと思います。

だったら恥ずかしさをうまく活用しよう

しかし、文明が発達してセーフティーネットが確立しつつある現在では、ある程度の間違いや失敗をおかしても命を落とすという状況に陥ることはさほどないと思います。お腹を下したら診察を受けて薬を処方してもらうことができるし、町や住宅を整えたことで危険な動物とも接触する機会はほとんどありません。

それなのに恥ずかしいという感覚はいつまでも残り続けてしまう。恥ずかしさはなかなか消滅しない。小さなことでも大きいなことでもやはり「恥ずかしいなあ」と感じてしまう。

だったら、恥ずかしいという感覚をうまく活用しようじゃないか、と僕は思うわけです。

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恥ずかしさは成長していることの証でもある

恥ずかしいと感じることは、自分がなにか間違いや失敗をおかした(かもしれない)証でもある。そして失敗や間違いは自分の成長の糧になるものだ。と考え方をうまくポズティブな方向へともっていくことができるのではないかと思うわけです。

僕自身、このブログを立ち上げてこうして実際に記事を執筆するまでに、たくさん恥ずかしさを感じました。

パソコンの基本的な操作方法もろくにわからない、スカイプの操作に慣れていなくて知人からのチャットを2日間くらい無視する、サーバーとドメインの意味すらわからない。他にも多くの恥ずかしさを経験しています。今もなおも。

そしていまこうして文章を書くところまできているわけです。こうして一歩ずつ成長しているわけです。

だからやはりこう言えるのではないでしょうか。

恥ずかしいと感じた回数だけ成長している、と。

もちろん、だからといって何でもかんでも恥ずかしいことをやっていくべきだとは思いませんよ!

ただ、自分が何かに向かって行動している際に恥ずかしさを感じてしまうことがあった時には、「恥ずかしいと感じた回数だけ成長しているだ」と考えた方がいいよね、ということです。

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